コーチの紹介

HERAW専属コーチをご紹介いたします。

Asahi Sato

佐藤 旭

Asahi Sato

佐藤 旭

-高校時代-
慶応義塾高に進学するも自宅の取手市から片道2時間をかけて通学。限られた時間の中でどう効果的に練習するかを考える。2年夏に主将になると、150名を束ねるために選手間でのコミュニケーションに重点を置く。上田誠監督の教えが自分の人生の礎と語るほど、上田監督の元での学びは深く、濃厚な3年間を過ごした。

-大学時代-
慶応義塾大に進学すると、四年時に主将となる。200名近い大所帯をまとめるキャプテンとして、自ら部員とコミュニケーションを取る機会を作った。この経験からコミュニケーションの質で、チームと個人のパフォーマンスは上げられると体現する。主将として東京六大学野球春季リーグ戦優勝も経験し、ドラフト候補に名前が挙がるまでに成長した。

-社会人時代-
東芝に入社するとルーキーイヤーから即戦力の活躍。2017年〜2021年まで主将としてチームを牽引。

2017年には社会人野球日本代表の主将を務め、日本代表を優勝に導く。代表監督の石井章夫氏(東京ガス)が絶対的な信頼を寄せ、主将としてチームの優勝に大きく貢献した。

2022年に現役を引退。現在は日本野球連盟、アスリート委員会の一員として社会人野球の価値、魅力の更なる向上に努めている。

<経歴>
1999年~2004年 竜ヶ崎リトル(取手市高井小)
2005年~2007年 竜ヶ崎シニア(取手市立永山中)
2008年~2010年 慶応義塾高校
2011年~2014年 慶応義塾大学
2015年~2022年 東 芝

Takanori Sato

佐藤 貴穂

Takanori Sato

佐藤 貴穂

-中学時代-
軟式野球部に所属し3年時に7番ライトとして全国大会準優勝。
チームメイトには小池翔太(元ロッテ)、磯部泰(元ENEOS)がいた。

 

-高校時代-
春日部共栄高では2年夏に甲子園を経験。初戦、大阪桐蔭戦に7番サードで先発出場し辻内・中田相手に3安打1四球2打点の活躍を見せたが打撃戦の末、7対9で敗れた。
2年秋からは4番。3年夏は県大会準々決勝で敗退した。

 

-大学時代-
1年冬に打撃力・資質の良さを買われ捕手に転向する。
3年春に正捕手に抜擢されるとリーグ戦全試合にスタメン出場し初のベストナインに輝いた。夏には大学日本代表に選出され日米大学野球で国際大会を経験。
4年春は18安打量産でリーグ2位の打率.419をマークし、満票で2度目のベストナインを受賞した。
亜大戦でリーグ戦初本塁打を記録、優勝を決めた国士舘大戦では3ラン含む4安打4打点と大暴れし東洋大学の東都大学野球リーグ戦5連覇、全国(大学選手権、明治神宮)大会3連覇に大きく貢献した。

 

-社会人時代-
入社すると高い打撃力と抜群の野球センスを買われる。3年目からは正捕手として絶対的存在となり、チームを都市対抗、日本選手権大会出場の常連へと導く。
初芝監督就任1年目の日本選手権大会ではチームの要として準優勝に牽引する。

<全国大会出場歴>
高校2年生 全国高校野球選手権大会 (1回戦)

大学1年生 全日本大学野球選手権(ベスト8)、
 明治神宮野球大会(優勝)

大学2年生 全日本大学野球選手権(優勝)、
 明治神宮野球大会(優勝)

大学3年生 全日本大学野球選手権2009年(ベスト8)
 日本代表:日米大学野球選手権大会(優勝)

大学4年生 全日本大学野球選手権2010年(優勝)

社会人 都市対抗6回出場 日本選手権3回出場(準優勝1回)

<受賞歴>
東都大学野球連盟 ベストナイン(捕手)3回
社会人野球東京都野球連盟年間ベストナイン(捕手)1回

Koki Sasaki

佐々木 孝樹

Koki Sasaki

佐々木 孝樹

-中学時代-

小学3年から野球を始め、都留一中時代は都留シニアに外野手兼投手として所属。

脚力を武器に陸上競技でも活躍し、3年夏に走り幅跳びで全国2位(7m17㎝)の実績を持つ。

 

 

-高校時代-

早稲田実業では1年夏に全国制覇を経験。

斎藤佑樹を擁して勝ち進み、主に9番右翼手で出場。打率.286(14打数4安打)を記録した。

西東京大会では準決勝・日大鶴ケ丘戦に途中出場し、9回裏2死満塁からサヨナラ右前打を放っている。

2年夏までは右打者として活躍し、同秋からスイッチヒッターに挑戦した。

3年夏は西東京決勝進出を果たしたが、日大鶴ヶ丘に5対13で敗れ準優勝だった。

 

 

-大学時代-

早大進学後は1年春から主に代走・守備固めでリーグ戦に出場。

両打ちから左打ちに専念すると打力が向上。3年春に定位置を獲得。1番中堅手としてチーム最多16安打、打率.320(リーグ5位)の好成績を残し頭角を現す。

同夏には大学日本代表に選出され、主に中堅手として日米大学野球に出場した。

同秋は打率.250(リーグ21位)と沈んだが、リーグ最多8盗塁を決め存在感を発揮。

主将を任された4年春に3季ぶりリーグ優勝、5年ぶりの大学選手権優勝を果たした。

慶大1回戦で左足を骨折し、選手権大会には出場できず、秋も1打席のみで終えている。

東京六大学野球リーグ通算78試合、打率.231、40安打、0本塁打、13打点、18盗塁。

 

 

-社会人時代-

主に代走や守備を中心に出場。持ち前の身体能力を活かし、強豪・JR東日本に5年間在籍。在籍中は全5回全て都市対抗へ出場。引退後は野球指導者の道を志すべく3人の子育てと並行し勉強中!

 

<全国大会出場歴>
高校1年生 全国高校野球選手権大会2006年(優勝)
大学2年生 明治神宮野球大会2010年(優勝)
大学4年生 東京六大学野球春季リーグ戦(優勝) 全日本大学野球選手権2012年(優勝)
社会人野球 都市対抗野球大会2013年(準優勝)
都市対抗出場 5回 日本選手権出場 4回

<日本代表歴>
日米大学野球選手権大会2011年

<経歴>
都留一中時代/都留シニア
早稲田実業高校
早稲田大学
JR東日本

Taichi Tanaka

田中 太一

Taichi Tanaka

田中 太一

-幼少期・中学時代-
小学2年時に桃園スポーツ少年団で野球を始めた。

中学時代は大分リトルシニアに所属し、3年時の春と夏に全国大会に出場。西武ライオンズの源田壮亮選手は中学校の同級生である。

 

-高校時代-

大分工高では1年時から公式戦に登板。3年夏には、エースとして同校17年振りの甲子園出場に貢献。甲子園では、同校の初勝利を狙い延岡学園高と対戦したが、延長戦の末に惜敗。

2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから3位指名を受けた。

 

-プロ~社会人時代-

育成・強化指定選手に指名され、2011年は体づくりと技術向上に集中。

スリークォーターから投げられる最速157km/hの速球に高速カーブ、スライダーを織り交ぜ高い奪三振率を誇る。

2016年からはツーシームも新たな武器として投球の幅を広げ、速球系の球は全て打者の手元でわずかに動き、外国人投手のように「動くボール」でバットの芯を外すのが特徴。

2017年に社会人の強豪・セガサミーへ入社すると主に中継ぎやストッパーとして活躍。

人望が厚く特に後輩から慕われる性格ですぐにチームに馴染んだ。その後もセガサミーの主力投手となっていたが、2020年12月にセガサミーを退部することが発表。

その後奥様の故郷である秋田県能代市に移住し、2021年2月にの能代松陵クラブに加入。

現在は地元の小中学生向けの野球スクールを経営しながら、プレーを続けている。 

第92回都市対抗野球大会はTDK(秋田県にかほ市)の補強選手として出場を果たした。

経歴>

桃園スポーツ少年団

大分リトルシニア

大分工業高校

読売ジャイアンツ(ドラフト3位)2011年~2016年

セガサミー2017年~2020年

能代松陵クラブ2021年~

Syogo Sawada

澤田 昇吾

Syogo Sawada

澤田 昇吾

-高校時代-

金沢高校では1年秋からショートで試合出場。2年夏に県大会決勝戦で敗退するも翌年3年夏には甲子園出場。初戦、浦和学院戦に3番ショートで出場し1安打1盗塁とチームの勝利に貢献。次戦、智辯和歌山に惜しくも敗退。

 

-大学時代-

1年春から守備、走塁を評価されベンチ入りを果たしスタメンも経験。

2年秋に規定打席に到達し以降セカンドのレギュラーとして全試合出場を果たす。

4年秋に1番セカンドとして出場し東都大学野球リーグ戦優勝に貢献。

なお國學院大學としては史上初の快挙

 

-社会人時代-

入社時から主に二遊間のレギュラーとして出場し、在籍9年間で都市対抗5度、日本選手権4度出場。4番以外の全ての打順を経験。

最終年は選手兼守備走塁コーチとして指導の場も経験し幅広くチームの活動に貢献。

 

硬式野球引退後、会社所属のHonda鈴鹿軟式野球部にて

主力選手として天皇賜杯や国体と軟式野球の全国大会を経験。

軟式野球 硬式野球とボール特性が違う野球を経験している。

<経歴>

石川ボーイズ

金沢高校

國學院大學

Honda鈴鹿(硬式)

Honda鈴鹿(軟式)

<全国大会出場歴>

高校3年生 全国高校野球選手権大会2006年(2回戦)

大学4年生 東都大学野球秋季リーグ戦(優勝) 明治神宮野球大会(大学野球)2010年(2回戦)

26歳 都市対抗野球大会2014年(3回戦) 社会人野球日本選手権2014年(2回戦)

28歳 都市対抗野球大会2016年(ベスト8) 社会人野球日本選手権2016年(2回戦)

29歳 都市対抗野球大会2017年(2回戦)

30歳 都市対抗野球大会2018年(1回戦) 社会人野球日本選手権2018年(ベスト8)

31歳 都市対抗野球大会2019年(2回戦) 社会人野球日本選手権2019年(1回戦)

 

社会人軟式野球

天皇賜杯全日本軟式野球大会ENEOSトーナメント2020年(ベスト8)

第76回国民体育大会 三重とこわか国体 2021年(コロナウイルスにて大会中止)

天皇賜杯全日本軟式野球大会ENEOSトーナメント2022年(1回戦)

Satoshi Ooyama

大山 暁史

Satoshi Ooyama

大山 暁史

高校時代
別府青山高等学校では、2年夏に控え投手として、第87回全国高等学校野球選手権全国大会に出場した。同校が全国大会へ出場するのは、春夏を通じても初めてだった。東北高校の前に初戦敗退。大山自身も救援で登板したが、3回4失点という成績で甲子園を去った。

 

 

大学時代
亜細亜大学への進学後は、1年次の東都大学野球リーグ戦から救援で登板。リーグ戦では通算21試合、投球回数40回1/3、1勝5敗。

 

 

社会人時代
大学卒業後に、セガサミーへ入社。1年目から主戦投手として活躍すると、第1回JABA関東選手権最優秀選手賞を受賞した。2年目には、ドラフト会議の上位指名候補に挙げられたが指名されなかった。しかし、翌年には浦野博司(日本ハムドラフト2位指名)とダブルエースとして競い合いながら成長。2013年のNPBドラフト会議でオリックス・バファローズから8巡目で指名された。

 

 

オリックス時代
2014年には、オープン戦から左の中継ぎ要員として起用されると、新人選手ながら開幕一軍へ名を連ねた。3月30日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で公式戦デビューを果たしたが、一軍公式戦ではこの試合の登板だけでシーズンを終了。ウエスタン・リーグ公式戦には39試合へ登板した。
2015年には、投球フォームを従来のスリークォーターからサイドスローへ変更。ウエスタン・リーグ公式戦には49試合へ登板したが、一軍公式戦での登板機会がなかった。

2017年8月5日の対日本ハム戦(札幌ドーム)では、1点ビハインドの6回裏1死2・3塁の場面で登板すると、中島卓也を2球で捕ゴロ挟殺、西川遥輝を4球で投ゴロに打ち取って無失点で切り抜けた。直後の7回表に味方打線が3得点で逆転。そのまま勝利したため、打者2人へ6球を投げただけで、一軍公式戦初勝利を挙げた。シーズン全体では、一軍と二軍を2度にわたって往復しつつも、一軍公式戦で自己最多の32試合に登板。白星はこの1勝にとどまったが、6ホールド、防御率3.46を記録した。また、通算投球イニングが26回ながら、左打者を中心に通算で30個の三振を奪い、奪三振率は10.38に達した。

 

 

現役引退後
2018年に引退すると、翌年は、打撃投手としてチームに帯同する。
2022年より故郷の別府市に戻り、同市で活動するBEZELスポーツアカデミー野球部(大分プロ育成野球専門学院BEZEL)のコーチに就任。
現在は子供たちに野球の指導を通じて地元の野球界へ恩返しをしている。

<経歴>

亀川ウィングス

別府市立北部中学校

別府青山高校

亜細亜大学

セガサミー

オリックス・バファローズ

<全国大会出場歴>

2005年高校2年生 全国高校野球選手権大会

2011年23歳 都市対抗野球大会

2012年24歳 都市対抗野球大会

2013年25歳 都市対抗野球大会 社会人野球日本選手権

Syouhei Ootuki

大月 将平

Syouhei Ootuki

大月 将平

<全国大会出場歴>
高校1年生 全国高校野球選手権大会2007年(1回戦)
大学2年生 東都大学野球秋季リーグ戦(優勝)明治神宮野球大会2011年(2回戦)
大学3年生 東都大学野球春季リーグ戦(優勝)全日本大学野球選手権2012年(準優勝)
東都大学野球秋季リーグ戦(優勝)明治神宮野球大会(大学野球)2012年(2回戦)
大学4年生 東都大学野球春季リーグ戦(優勝)全日本大学野球選手権2013年(準優勝)
東都大学野球秋季リーグ戦(優勝)明治神宮野球大会(大学野球)2013年(優勝)
23歳 都市対抗野球大会2014年(2回戦)社会人野球日本選手権2014年(準優勝)
24歳 都市対抗野球大会2015年(1回戦)社会人野球日本選手権2015年(2回戦)

<経歴>

赤磐ボーイズ

岡山理大附高校

亜細亜大学

セガサミー

Takahiro Araki

荒木 貴裕

Takahiro Araki

荒木 貴裕

【ヤクルト時代】
2010年1月6日に戸田の球団寮に入寮、荒木自身が5歳の時に亡くなった「姉の分も頑張りたい」とコメントしている。自主トレでは青木宣親から「柔らかくていいスイングをしている」と評価された。春季キャンプは一軍スタート。開幕一軍に入り、ヤクルト球団としては1970年の中村国昭以来となる開幕スタメン(7番・遊撃手)に入った。
2011年のフレッシュオールスターゲームでは2安打1打点、守備ではファインプレーと攻守に渡って活躍し、MVPとなった。
2012年は6試合の出場に終わった。
2013年、打撃が向上し、二軍で首位打者(打率.337)を獲得。
2014年、オープン戦は外野手として出場したが、遊撃手に復帰。4月26日遊撃手として一軍へ昇格。昇格後は遊撃手のレギュラーとして活躍したが、7月26日に二軍へ降格。9月27日、再び一軍登録、外野手で試合出場した。この年は55試合に出場した。
2015年は、前半戦は主に1番レフトとして出場。好成績を残すも、シーズン途中に骨折で離脱。復帰後は主に代打、代走として出場し、5盗塁含む自己最多の73試合に出場した。クライマックスシリーズ、日本シリーズでは打撃機会こそはなかったものも代走として3試合に出場した。
2016年は、61試合に出場。
2017年、5月14日の対中日ドラゴンズ戦で初めてサヨナラ満塁ホームランを記録したことにより、5月のスカパー!サヨナラ賞を受賞。91試合に出場し、打率.207、6本塁打、25打点を記録した。
2018年は、チームの連敗を止めるサヨナラ打や試合を決定づける満塁弾を放つなど、随所に輝きをみせた。最終的に62試合に出場し打率.218、3本塁打、21打点を記録した。
2019年は、前年を上回る93試合に出場した。打率も.250を記録した。
2020年は、63試合の出場に留まり、打率.164、1本塁打、7打点と結果を残せなかった。
2021年は、開幕一軍のメンバーに選ばれた。内外野の控えとして、オリンピック中断期間を除いて1年を通して一軍に帯同、途中出場がメインながらプロ入り以降最多の100試合に出場し、チームの優勝、日本一に貢献した。ポストシーズンでは6試合に出場しながら一度も打席に立たなかったものの、日本一を決めた日本シリーズ第6戦は、延長12回裏、一塁を守っていた荒木が山田哲人からの送球を受けて試合終了、ウイニングボールを掴んだ選手であった。
2022年は、前年を半分以上下回る47試合の出場に留まった。
2023年は、9月22日に同年限りでの引退を発表。9月30日の対横浜DeNAベイスターズ戦で引退試合が行われた。自身は7回裏無死一塁で代打出場し、空振り三振。そのまま一塁の守備につき、9回裏の最終打席(第2打席)はあわや本塁打という左飛に倒れた。試合後のセレモニーでは同級生の川端慎吾から花束が手渡され、マウンドに集合したナインから胴上げされ10度宙を舞った。

【経歴】
津沢小学校 スポーツ少年団
津沢中学校 高岡シニア
帝京第三高校
近畿大学
東京ヤクルトスワローズ(2010-2023)

【選手としての特徴・人物】
対左投手に強く、内外野全ポジションを守れるユーティリティープレイヤー。際立って打撃力や守備力が高いわけではないものの、与えられた役割を堅実にこなせるいぶし銀としてチームを支える。2021年は自己最多の100試合に出場しながら、そのうち91試合が途中出場で、その内訳は代打18試合、代走21試合、守備固め52試合と、内外野の控えとして様々な役割をこなした唯一無二の存在だった。
チームトップの練習量を誇る努力家。「野球は9人ではできない」を信条とし、ベンチスタートでも途中出場に向けて準備を怠らず、5回からベンチ裏でバイクを漕いで体を温めている。

【日本代表歴】
2008年 第24回ハーレム国際大会、第4回世界大学野球選手権大会
2009年 第37回日米大学野球選手権大会(主将)

Takuaki Iguchi

井口 拓皓

Takuaki Iguchi

井口 拓皓

藤沢小4年時から硬式野球を始め、藤沢中では軟式野球部で投手。

市立川越高では2年春からベンチ入り。
2年夏の初戦2回戦で7回2安打の好投で、春日部共栄高を破る大金星で注目を集める。
斉藤彰吾(西武・高校7巡)、難波剛太(東京ガス)らを擁するV候補筆頭に3対2で勝利。
聖望を撃破するなど3年春に初Vを成し遂げ、8年ぶりの関東大会でベスト8まで勝ち進んだ。
浦学戦で無四球1失点完投サヨナラ勝ち、東海大甲府を4安打11三振完封。
3年夏は立教新座・岡部賢也に5安打に封じられ、惜しくも0対1で南埼玉4回戦敗退となった。
県大会V、関東8強が最高成績。甲子園経験は無し。

駒大進学後は2年春から2部リーグ戦に出場。
白崎勇気に次ぐ先発2番手として起用され、専大2回戦(7回1失点)で初登板初勝利を飾る。
2部リーグ優勝が懸かった2年秋の立正大2回戦で2安打7三振初完封をマーク。
3年春以降1部で9勝(6完投2完封)を記録し、4シーズン連続で投手ベスト10に食い込んだ。
3年秋の5・6位決定戦・中大戦で1部残留を決める2安打10奪三振完封勝利。
4年春になって先発1番手の座を掴み、秋に優勝争いの末、10季ぶり3位浮上を達成している。
通算37試合、14勝(7完投3完封)12敗、213.1回、防御率2.19。

日本通運入社後は1年目から公式戦に出場。
5月の九州大会で小山元希との投げ合いを制し、8安打1失点で社会人初完投勝ちを収める。
日本選手権1回戦・新日鉄住金広畑戦で、4安打無四球完封勝利をマーク。
4回裏までに5得点の援護を受け、4回以降2塁を踏ませず、1安打に抑えこむ快投を見せた。
プロ11球団が訪れた2年目のスポニチ大会・NTT東日本戦で3安打完封勝利。
かずさマジックの補強として都市対抗に出場し、2試合9回11K2失点の好結果を残している。
2回戦・東京ガス戦(3対4)で6回1安打0失点、7回3安打8三振1失点の好投。
ケガの片山純一に代わり日本代表に選ばれ、9月の仁川アジア大会3試合に救援登板した。
3年目の都市対抗1回戦・富士重工戦は、まさかの1回途中4失点KOで敗戦。
同大会後からリリーフで起用され、日本選手権で合計6回5K、3安打1失点の好投を披露した。
二大大会通算8試合、2勝2敗、39回、防御率1.38。

【経歴】
グリーンインパルス(硬式)(埼玉県入間市立藤沢小)
入間市立藤沢中
市立川越高校
駒澤大学
日本通運

【現役時代の選手像】
 176cm78kg、まとまりのあるスリークォーター右腕。
 セットから小さめのテイクバックを取り、深めに重心を下げ、肘を柔らかく使った球持ちに良さのある
 腕の振りから繰り出す最速144㌔、130㌔台後半から140㌔強の伸びのある直球と、
 120㌔台から130㌔前後のフォーク、130㌔前後のスライダー、120㌔台で逃げて沈むチェンジ。
 内外に決める140㌔前後のシュートも特徴のひとつ。フォークボールで空振りを誘う。
 東都1部通算160回1/3で27四死球(四死球率1.52)。まとまりのあるコントロールの持ち主。
 打たせて取る投球を持ち味とし、内外角低めに投げ分けていく。武田久似の右腕。
 試合を作る能力で監督から高い信頼を得ていた。先発・救援をこなす。遠投120m、50m6秒4。

 

<日本代表歴>
2014第17回 アジア競技大会

NICE BOX 株式会社

東京都千代田区神田佐久間町4-6
℡080-1281-6971

Takumi Okubo

大久保 匠

Takumi Okubo

大久保 匠

-中学時代-
地元の花園中学校野球部(軟式)に所属。

-高校時代-
埼玉県内の名門・花咲徳栄高校に進学。
高校3年時次には埼玉県No.1投手と周りからの評価も勝ち取った。しかし、甲子園出場は叶わなかった。

-大学時代-
明治大学(東京六大学野球連盟)へ進学。一学年上に野村祐輔(現広島東洋カープ)が在籍。「野村さんから色んな事を学んだ」と師と仰ぐ。高校時代からの持ち味であった多彩な変化球と抜群の制球力に更に磨きをかけた。

-社会人時代-
東京都・明治安田生命へ入社。即戦力として活躍しながらも自身の投球向上に繋げるため、メリハリのあるピッチング・連投のできる投球術・投球フォームを模索。10年間明治安田生命の絶対的エースとしてマウンドを守り続けた。

ピッチングのコツに早い段階で気付けた方が有利と感じており、自らの経験を伝えていきたい思いがありピッチングスクールを開校。
身体の仕組みと使い方、ピッチングメゾットについて、抜群の知識と経験値を持ち合わせる。

<経歴>
2003年~2005年 花園中学校
2006年~2008年 花咲徳栄高校
2009年~2012年 明治大学
2013年~2022 明治安田生命

<全国大会出場歴>

2009年 東京六大学野球秋季リーグ戦 優勝
2009年 第40回記念明治神宮野球大会 ベスト8
2011年 東京六大学野球秋季リーグ戦 優勝
2011年 第42回明治神宮野球大会 優勝
2017年 第43回社会人野球日本選手権 ベスト8
2018年 第89回都市対抗野球大会 ベスト8